12/01/28

スタートするメディアと終わるメディア

 
わたしたちはどこのサイト、あるいはブログを見て、何の雑誌を読んで、情報を集めれば良いのだろうか。情報強者と弱者の二極化がいよいよ明確化してきたいまの時代においては、弱者よりもむしろ強者のほうがストレスフルな状況に追い込まれているといえると思う。つまり弱者は受け身に専念することによって自ら情報を取りに行く体力を使わずに済むし、疑問やアンチの精神を持つ必要もない。流行っている音楽を聴き、駅近のディベロッパーで買い物をし、家に帰ればテレビをつければ良い(何だか馬鹿にしたようなニュアンスだが、実際は筆者は馬鹿にしている。ちゃんと自らで選び取らない人間にコミットすることなど到底できないから)。

その二極化はインターネットの発達によって加速した。全員が共有するメインストリームが一気に消滅し、それぞれの個人は自分の好きなものだけを集結させた小部屋作りに勤しみ、かろうじてそのなかの一部でも共通項を持つ人たちと積極的にコミュニケーションをとり、村を作る。その村は多少排他的な性質を持つことになるが、そこはある意味パラダイスなので誰も文句は言わない。

さて、そんな時代背景を持つ現代において、メディアの果たす役割も変わった。つまり100万人に響くキャッチフレーズがなくなった。音楽でもコアなリスナーもグレーゾーンもすべて巻き込むようなムーヴメントは一向に生まれる気配がない。いまのところ、誰かが熱狂している傍では別の誰かがそれを醒めた目で眺めているような光景が広がっている。かつてはそのムーヴメントの先導を切るのがメディアであり、そうでなくても10万人の熱狂を1000万人の熱狂に変える役割を担っていたのがメディアであった。

ファッションの場合はどうだろうか。いま、どこかの雑誌で有名なスタイリストが組んだルックがストリートで雰囲気としてでも大きなトレンドになり得るだろうか。あるいは雑誌に限らず、メディアが熱心にプッシュしたアイテムに問い合わせが何件も入るだろうか。よく「紙媒体(ファッション雑誌)は終わった。次はウェブだ。」という話を耳にするが、そこには大きな勘違いがある。わたしが言いたいのは“紙媒体が果たしていた役割を、もうどの他メディアも果たすことなんかできないし、それはつまり消費者がそういうものをまったく求めなくなったからだ”ということである。

10年前であれば、雑誌はショップと密接に繋がっていて、ショップが打ち出したい商品がそのまま雑誌が打ち出すトレンドになり得た。そこには情報においては圧倒的弱者であった消費者の意志が入る余地などあるはずもなかった。「なるほど、これが格好良いんだ」と思えば、みんな買いまではしなくても、お店に見に行くくらいのことはしたんじゃないかな。だが、いまではTwitterやFacebookがあるので、「親しい人」あるいは「個人的に信頼できる人」からの情報には事欠かない。そして一旦その情報の精度の高さを思い知ってしまうと、もう何となくの10万人にむけた雑誌を隅から隅まで読んで自分の文脈に取り入れようなどという気はなくなってしまう。

ファッションが難しいのは、それが日常に必要なくて、ファッションにまつわる話なんかもっと必要なくて、さらに専門的な分野にまで踏み込むにはそれなりの時間と手間がかかることである。だから個人でファッションの情報を取りまとめて毎日チェックしているような人が、果たしてどのくらいいる?あるいは「フイナム」や「アイスクリーム」の記事を追いかけている人を、あなたはどのくらい知っている?「The Sartorialist」は思考の努力みたいなものがそんなに必要とされないのに、感性はビンビンに刺激されるから、気軽に定期的にチェックできる。気付けばサイトの大ファンになっていたり、自分のなかでもお気に入りのアーカイヴができていたりする。これは従来の雑誌には果たせなかった新しい役割だ。

これからのファッションのメディアの在り方を探るときに、わたしはけっこう行き詰ってしまう。だってネットでマガジンはできないんだから。パソコンの画面ってすごく読みにくいでしょう?外面を凝ったところで結局は使い辛さに繋がってしまうだけだし、何となく眺めるという行為にこれほど適さないフォーマットはない。バナーを無目的に押すという行為は、かなりハードル高いと思うしねえ。ごちゃごちゃと多すぎる選択肢があったところで、人がそれを一目見たあとに移す行動は、「サイトを閉じる」ことである。分かりきっているけれど、メディア側の人間はなぜかこれを楽観的にとらえて、自分が絶対にしないようなユーザー行動を当てはめてしまう。

つまり、ファッションにおいては何となく眺められる雑誌は絶対になくならない。ただそのあり方は変わる。前時代的なマス概念を引きずった雑誌では厳しい。やはりコアで、ある特定にクラスターに向けられたハイクオリティなマガジンが多数存在する状況に変わっていくはずだ。まあ、こんなことわざわざ書かずとも共通認識でしょう、という話なのだが、ネットでのメディアの在り方に最近疑問を感じたのでこういうことを書いてみた。思考させるメディアは、やはり雑誌に向いているのではないか。そして「洋服を買う」という直接の消費行動に結びつく(例えば、雑誌からの問い合わせ)広告や記事は、おそらくもう存在することがかなり難しくなってくる。気分や雰囲気といったものがあまりに世界を支配しすぎている。それにいまはショップがダイレクトな情報を発信したほうが(その発信の仕方も幼稚だと思うけれど。いまだに変に規制をかけたり・・・イメージはもうすでに消費者の手の中にあって彼らが如何様にもできることを理解しなければいけない)、購買に繋がる反応は生まれやすい。だから雑誌は思う存分思想を売れば良いと思う。紙のメディアはより強い意志を持って、前に進んでいけば良い。カタログはネットで閲覧できる。

2月には「HUgE」がリニューアルする。「SPADE」も2冊目が刊行される(サイトは「The Sartorialist」と「JAK&JILL」がモードとストリートを切り取って、最高に魅力的な形でそれらをわたしたちに見せてくれる)。不況だが、コアで生きていけない時代ではない。むしろほんとうにファッションが好きな人たちがメディアを作るのなら、いまほど適した時代はない気がしてならない。

(またとりとめのない文章を書いてしまったが、次くらいでは何らかの答えが出せれば良いなあ、と思う。とりあえず今回はおしまい。)

ちなみに最近夢中になって読んだのが「STREET」の創始者のインタビュー。とってもおもしろいし、このやり方は今後のメディアの在り方を考えるときに重要な視点だと思います。

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